離婚日記~夫婦を続けるためには

50代女子。離婚を決めました。どんなふうになっていくのかわからないから・・その道のりを綴ってみようと思います。

人生の底

当時俺様は、義父と一緒に働いていた。

義父の仕事を継ぐためだった。

義父は職人として長く同じ仕事をしていたので、取引先には随分と信頼はされていたようだが、なにしろ肉体労働だったので年齢の壁は大きかったようだ。

高齢というわけではなかったのに、やはり安全性を優先されてしまった。

そういう危機感がもう数年前からあったのにもかかわらず、この家の人間は何も備えをしない。

先のことを考えても仕方がない。

とりあえず目の前のことだけやっていればいい。

そういう家族だった。

私の実家は全くの真逆。

いつも先のことを考えている。

心にもお金にも準備を怠らない。

当時はその両家のギャップに驚き、俺様の家を見下していたが、50歳も半ばになり振り返ってみると、準備ばかりをすることが全面的にいいことだとは思えない自分がいる。

準備に重きを置くばかりに、今を愉しむことができない。

今を生きていないのだ。

そしてハッとする言葉にテレビを見ていて出会った。

数年前の話だ。

名前を忘れてしまったが、ある俳優が何かの賞をもらっての喜びを壇上でスピーチしていた場面だった。

「いつも次のことを心配して考えていた。こうなるだろうからこうしておこうと、準備をしていた。でも大概予想していたとおりにはならなかった。だからもう、そういう心配をするのはやめようと思う。その方が数倍幸せに生きられる」

そういった内容だった。

よくわかる言葉だった。

私も自分の親を見て育ってきているので、親と同じだった。

心配して、用心することが染みついている。

そして長年の経験で、それが鳥越し苦労だったことの方が多いことも知っていた。

それをこの俳優の言葉で改めて考えさせられた。

今の私は、うまくそれを取り入れて生きていると思う。

 

でも、当時の私にはすべてがきつかった。

この家の人間はなんて馬鹿なんだろう・・

誰だってわかることじゃないか、いつかこうなるって。

備えることがないのか?

義父への通告は、それほど猶予の無いものだった。

その間に収入を増やさなければならない。

当時の俺様の収入は年収500万円も満たないほどで、他の収入は義母のパート収入のわずかなもの。

私は子どもが小さく、働いていなかった。

収入を増やすには私が働くしかない。

でもでも、どうしてあの義父母を背負い込むために私が働きに出るのか?

自分の子どものためなら抵抗はないけれど。

その理由にどうしても納得がいかなかった。

俺様にそれをぶつけた。

そこでも俺様のズルさが炸裂する。

「働くのはお前の自由でいいよ」

どっちに動くのもお前の意志、お前の決断だからね。

俺が指示したわけじゃないよ。

俺様の真髄を見た。

俺様にはわかっている。

自分の女房がこの状況で、のほほんと家に居られるほどお気楽な人間ではないことが。

俺様はズルい。

今こうして思い返しても、一度たりとも詫びの言葉はなかった。

そういうものなんだろうか。

「迷惑かけて悪いね・・」

そんな言葉があればまだ救われる。

それを求めることは私の傲慢なんだろうか。

俺様との結婚生活で、「普通の基準」が私にはわからなくなっている。

それは私の能力や性格にもよるもので、一方的な力によるものではないとはわかっているけれど。

 

家族6人の生活を俺様ひとりの収入で支えることは無理だ。

そしてもっと恐ろしいのは、年金も貯金も無い親の老後を、一体どうするんだろうか。

生命保険も入ってないというふたりが、何かで入院したらどうするんだろうか。

あまりにも重い未来が一気に私の目の前に降りてきた。

でもこれが人生の底だと自分を納得させるしかない。

やるしかないんだ。

そう決意をした私に、もうひとつ下の底が用意されていた。 

■私からのひとこと■

言葉は心を越えないけれど・・

それでも心を伝える言葉は必要だと思う