離婚日記~夫婦を続けるためには

50代女子。離婚を決めました。どんなふうになっていくのかわからないから・・その道のりを綴ってみようと思います。

流転

義父母の家を出たのが1月23日だった。

友人に励まされた言葉をよく覚えている。

「何言ってんの?1・2・3じゃん!いい日なんだよ!」

義父母を見捨てて出て行くことに相当な迷いがあったんだろうと思う。

その言葉が何よりも有難く、支えになった。

子どもの小学校の転校もしたくなかったので、それほど遠くない場所に1軒屋を借りた。

体調はあっという間に良くなった。

俺様はというと、義父が仕事を失ったと同時に転職をしていて、引越し前から仕事が相当忙しく、ほとんど家に居ない状態だった。

その頃は、俺様の俺様的要素が未発見に近い状態で、義父母の件で裏切られてはいるものの、私はまだ精神的に大きく俺様に頼っていた。

今だったら俺様が家に居ない状態なんて天国だ。

亭主元気で留守がいいと以前流行ったフレーズだが、今の私なら母子のみの暮らしは大歓迎なのに。

でもその頃は、引越しの片づけも子どもの面倒もすべてを自分でやらなければならない状況に、うっぷんが溜まっていく一方だった。

見事に何もしてくれなくなった俺様が、たまに家にいるとケンカになる。

休日にソファーで寝そべっている俺様に、子どもと遊んでくれと頼むと怒鳴られた。

「なんで疲れてる俺がやんなきゃならないんだよ!そんなん、テメーがやれよ!!」

次第に頼れないんだということがわかってきたものの、それでもまだしがみついていた。

そんな状況で、大好きな子どもたちに当たることも多かった。

よく覚えているのが、買ったばかりのテレビがなぜか壊れた時。

夕食の用意もあり、何かと忙しい時間なのにそんなトラブル。

ふたりの子どもが約束の時間をオーバーして帰ってきたところを怒鳴りつけた。

家の中に入るなと、玄関にずっと立たせた。

何度もごめんなさいと謝る子どもたちをしばらく許さなかった。

こんなことが何度かあったと思う。

自分に少しもゆとりが無かった。

いらいらの頂点の時期だった。

今から思うと、胸が締め付けられるくらい申し訳なくなる。

娘とはほぼ毎晩、今でも彼女の部屋で少しの時間を過ごすのが習慣になっている。

10分程いろいろな話をしながら過ごした後おやすみを言う。

娘が中学生になったある晩に、私のこの頃の非道を覚えているか恐る恐る探りをいれたことがある。

娘は何も覚えてはいなかった。が-

彼女のその時の言葉は、しっかりと私に仕打ちを受けたことを物語っていた。

「あの頃はなぜかお母さんがふたりいると思ってたんだ」

学校から帰ると、毎日ドキドキしながら玄関のドアを開けていたのだという。

―今日のお母さんはどっちだろう。怒っているお母さんだろうか、優しくハグしてくれるお母さんだろうか・・優しい方のお母さんでありますように―

まだ幼い小学生の娘が家の玄関の前で、そんな不安な気持ちを抱えながらドアノブに手をかけていたとは・・

突き刺さった。

胸が苦しくなった。

どんなことをしても、彼女の記憶から私の愚かな行為を消すことはできなかった。

私の仕打ちは、彼女の中にしっかりと刻まれていたんだ・・

娘におやすみを言って自分の部屋に戻り、涙が出た。

なんてつらい想いをさせてしまったんだろう。

過去というものが、取り返しのつかない、修正のできないものなのだということを改めて知った。

この懺悔の気持ちは、一生涯持ち続けると思う。

この頃のすべての日々を謝りたい。

本当にごめん、ごめん、情けない親で・・

 

子どもたちにこうしたつらい想いをさせながら、不器用な私はほんの少しずつだが俺様が頼れないこと存在だということを知っていった。

私が父親にもなろう。

すべてをやればいいんだ。

そう心に決めたことも覚えている。

頼らなければ、不満も生まれないんだとわかってきた。

私が体調を壊して救急車で運ばれたときでさえ、帰ってこない俺様をやっとあきらめることができつつあった。

ただ、唯一頼らなくてはいけなかったのがお金だった。

私がパートに出てもたかが知れている。

お金のことではよく揉めた。

本当に俺様との生活の揉め事はお金のことがほとんど。

いつもいつもいつもお金・・

義父母とは離れたが、義父母の家のローンと建物名義が俺様になっていて、ローンの返済金は義母に入金してもらうことになっていた。

いつのまにか俺様がそれを自分で工面するようになっていた。

義母が払っているものだと思っていた私は、それを知って驚いた。

月々10万円ほどの支払いだ。

その時もかなりケンカをした。

俺様の収入は高くなってきているものの、これからもずっと義父母家のローンを払って借家の賃料を払って生活していく気だろうか。

そしてそもそも、またもや私には何の相談もなくそういうことになっている。

なんで言ってくれないのかと聞くと、最後は「俺の金だ!俺がどう使おうが勝手だろ!」と怒鳴り散らすことになる。

子どものことも家のことも私に丸投げで、お金は稼いでくるものの、これは俺の金だと言って、断りもなく義父母を援助している。

これって夫婦なんだろうか・・

 

俺様の仕事があまりにもハードになり、俺様は同業者で少しのんびり仕事ができる小さな会社に転職した。

その少し前に新しく家を買った。

俺様はセカンドハウスとして家のローンを組めるだけの収入があった。

転職先では仕事ができるので優遇され、他の業者との契約もあり、年収もまた伸びた。

私の俺様への不平不満は膨れ上がっていたが、俺様の年収で目をつむることにしていた。

それでもお金のケンカは絶えなかった。

今度は義父母の生活費も工面するようになっていて、ローンの支払いも含めてひと月に20万円近く義父母に流れていた。

俺様の収入源は1本ではなく、私には本当の収入額がわからないようになっていた。

子どもたちも進学塾に行くようになり、生活費がかさむ頃にそれが発覚し、ケンカも日増しに多くなっていった。

俺様の中では、まず実親への送金が一番であり、私には生活費は十分に渡しているので、なぜ文句を言われるのかわからなかったようだ。

子どもにかかる教育費が大きい、これから先のこともあるので生活費を増やしてほしいと言っても、今は足りているのだからと聞いてもらえない。

義父母への送金を少し削ってほしいと頼むと、最後は恒例の「俺の金だ!!」で終わる。

当時はわからなかったが、俺様はその頃から風俗にも行き出していたはずだ。

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忙しかった会社を辞めてからは、時間にも余裕があり、1週間に1度はゴルフにも行っていた。

俺様が俺様度を全開にしていった頃だ。

毎回ケンカをしては私が折れ、最後は謝った。

お金が必要だった。

そのうち、抵抗をやめた。

俺様のお金なんだ。俺様が好きにすればいいんだ。

とりあえず、今の教育費が足りていて、うっぷん晴らしの旅行にも行けるし、もうこれ以上望むのはやめよう。

俺様は俺様でやっていればいいし、私たち3人は団結していればいいし。

生活費をもらうこと以外のすべてを俺様から完全に切り離すことで、1対3の構図が出来上がり、なぜか気持ちは楽になった。

いつかは俺様から独立しようと、投資をしたり、FXをやったりもしたが、儲かりはしなかった。

それでもそんなふうに将来俺様から離れることを夢見ることで、力がわいた。

夫婦それぞれが全く違う方向を見ながら毎日を送っていて、考えるべきことから目を背けていた。

そして、数年後その罰はきっちりとくだることになる。

リーマンショックだった。

■私からのひと言■

いい時間も悪い時間ももう戻ることはない。

だからこそ、きちんと時間には向き合わなくちゃいけないんだ。